4DX版『天気の子』新海誠監督、怖い。

 

 

まだ4DXで映画を観たことがないならば、『天気の子』でデビューするといいんじゃない?ってことを伝えたいだけなんすけど、それぐらいの超感動体験だったんすけど、

せっかくだから大学生の時からハマった新海誠さんについて、そしてこの作品について思ったことを書き残します。

まぁぶっちゃけ、書きつついろんな記事とか参考にしていたら、【最後に】で取り上げた岡田斗司夫大先生の考察がえぐく、なるほどなぁって面白かった。そしてこの映画を初めて怖いな、って思いました。

くそ長くなったので、目次から【最後に】まで飛んで、そこだけでも読んでもらえたら嬉しいっす。

 

まずは4DXすげぇ。

『天気の子』のような、雨・風・雷・空を飛ぶシーンと相性良すぎて

没入感がとんでもない。

「4DX」と「MX4D」があるそうだけど、断然4DXの方がいいんだって。

演出の種類が全然違うそう。

「MX4D」はTOHOシネマズ系、「4DX」はそれ以外(イオンシネマとか)

詳細は下記のブログが参考になりました!

https://nobitakun.com/entertainment/movie/mx4d-vs-4dx/

 

映画は体験。

野外や3DやIMAXなど今までいろんな映画体験あったけど

4DXはダントツに良かった…!

でも多分それは、『天気の子』という作品の力も多分にあったに違いないと思います。

 

 

『天気の子』の何が僕にとって良かったのか

新海誠監督の作家性の再獲得あるいは昇華

一回目を普通に観た時は、大好きな作品って訳じゃなかった。

理由としては、随分表層的なんだけど

①壮大なテーマや美しい画にキャラデザが合ってないと感じた

②RADWIMPSの主題歌による盛り上がりなどが『君の名は。』と同じ構造すぎ

③キャラクターの背景が省略されていて、感情移入ができない

 

まず①は、田中将賀さんのキャラ(『あの花』も『君の名は。』など)はとても好きだけど、今回の気象を軸としたメッセージ性の強い映画やますますスケールアップした画にミスマッチ感を覚えてしまった。

でも古澤佳寛さんや川村元気さん率いる企画制作会社のSTORYの世界戦略からしたら、田中将賀さんのキャラは大事な“アイコン”なんだと思う。

 

②は、映画を盛り上げるためのわかりやすい演出で『君の名は。』で観た。主題歌演出以外だと、キャラクターが心の声で叫びまくってるのが、いい加減にしろよ、またかよって初見は思った。

RADWIMPSの曲は聴けば聴くほど良かったし、わかりやすさ、大事。

ラブホテルのお風呂あがりの帆高と陽菜の無言の表情と視線こそが新海誠だと思うんだけど。っていうか、新海誠監督はずっと男女の心の機微を描き続けているんだけど、そのテーマ性は僕にはきつくなってきた感もある。前も批判されてたけど、女の子のキャラクターが男の妄想が詰まっている感が満載で、なんだかなーって思うことも。その辺が、『天気の子』で感じた違和感かな。

 

③『君の名は。』での三葉のお父さん然り、今回の小栗旬演じる須賀さん然り、物語終盤でなんでその決断するの!?って説明を全省略してるのってどうかと思うんすよね。前触れもなく廃墟にいたことで「あー、須賀さんの亡くなった奥さんも人柱になったんかな」って想像したとしても、だとしても!行動が不可解すぎるわ、って思っちゃう。

 

『君の名前は。』より前の映画では、その辺をウジウジ執拗に描いていたような気がして、そこが新海誠作品の好きなところであったんだけど、大衆受けするのにしょうがないというか、削ぎ落としたんだよね。結果、社会現象となって国民的映画監督として認知されて、作品の興行収入もすごいから大成功なんだろうけど。

 

そう、『君の名は。』で新海誠監督は作家性を諦めた、っていう批評があった。

確かに、川村元気さんがプロデューサーに入って、すごい制作チームができて

売れる要素を極限に高めた新海誠ベストアルバム的な作品が『君の名は。』であったと思うんだけど、それは今まで新海誠監督が大事にしていたものをそぎ落とした結果でもあった。それを持って「作家性を諦めた」なんて言った人がいるかもしれないけど、『天気の子』で見事に覆したというか、作家性を確立したと思う。

 

それは、「僕たちが生きる“現実”を、とてつもなく美しく描く」ことである。

これは、宮崎駿や押井守、庵野秀明といった日本が誇るアニメ監督には成し得ることはできないものだ。

やれ異常気象だとか、やれ不景気だとか、東京は欲望だらけで空虚な都市だとか

ネガティブに捉えられがちな、僕たちが今存在している、生きている、この世界を圧倒的に肯定し、美しさを提示してくれる。大丈夫、大丈夫って、心の底から。

 

宮崎駿のノスタルジック性でもなければ、庵野秀明の破壊的衝動性でもない。

ファンタジーでもSFでもない。

日本人が心の底では信じたい「今という現実」をこれほど美しく魅せてくれる作家は他にはいない。

 

思えば、新海誠はずっと「大丈夫」というセリフを登場させてきたような気がする。(『秒速5センチメートル』の「貴樹くんは、この先も大丈夫だと思う。ぜったい!」など)

そしてこの映画のラストでも「僕たちは、大丈夫だ」も観客に向けた“祈り”なのだろう。だからこそ、RADWIMPSの主題歌「大丈夫」が僕には一番グッときた。

 

この映画ではやらた“祈る”。「明日晴れにしてほしい」などいろんな願いが降りかかってきて、何度も何度も晴れを祈る陽菜の姿は、か弱く儚い天使のようにも見える。

幼くして母親と死別し、新宿という街で生きる彼女が

生きる意味や自分の存在意義を見出し、他者のために祈る姿は、僕には美しく見えてしまった。

 

そしてラストの再会のシーンでも、陽菜は祈っていた。

もう能力はないはずなのに。それでも、祈っていた。

どの祈りのシーンよりも素敵なカットだった。

 

気象変動の問題

『天気の子 Weathering With You』

Weatherって名詞だと“天気”って訳だけど、動詞だと“(嵐や困難などを)乗り越える”って意味がある。

つまり、これは「あなたと困難を乗り越える」物語。

 

現実世界では、今年も、例年のように、「観測史上初!」とか「今までにない異常気象!」とかニュースで見たり聞いたりした。

映画公開前はずーっと雨が降っていて、日照時間がとてつもなく少なかったし、

一気に暑い日がガッと続いて、急に涼しくなって、えげつない台風が千葉に深刻な問題をもたらし、本当に今年も色々あった。(問題は解決してない)

 

全世界的に、気候変動の問題は大きく取り上げられている。

2019年、日本でも16歳の環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんもものすごく話題になった。

地球温暖化が叫ばれて、はや数年。

何が変わったんだろう?僕たちは何を変えたんだろう?

天気で人のココロは動く。朝起きた時に青空が見えたらそりゃなぜだかテンション上がる。そんな人のココロに大きく影響を与える天気(気候)を僕たちは無責任にほったらかしにしてる。僕もいつしか大人になってしまった。

 

僕たちは、決定的に、世界の形を変えてしまっているのだ。

 

帆高は、自分の行動で「世界を変えてしまった」と自覚した。

進学で東京農工大学を選び、「アントロポセン」というキーワードが載った記事のカットが描かれている。

彼は行動に移しているのだ。現実を受け止めて。自分にできることを考えて。

漫画喫茶で『ライ麦畑で捕まえて』を抱えていた頃とは違う、帆高の成長があった。

 

そして映画のラストには

新宿という街で、生きづらさを抱え、ボロボロになって、

悲しみや悔しさの涙を流していた帆高や陽菜が、

笑顔の、喜びの涙を流すのだ。

 

こんなん美しすぎる。

 

これほど真っ正面から気候変動の問題を取り上げて、エンタメとしてまとめ、かつ日本人の心をくすぐりながらも、世界へ向けた作品は他に知らない。

 

天気の子と気候変動について考察されて、参考にさせていただいたnoteは下記。

https://note.mu/little_shotaro/n/n199d16caf599

 

映画は時代の鑑だなぁとつくづく。

 

最後に -新海誠監督の祈りと“大丈夫”-

劇中で「ラノベみたいな設定」とか、

主題歌の中で、「愛の歌も歌われ尽くした 数多の映画で語られ尽くした」とか

ある種、新海誠はメタ的にこの映画を俯瞰している。

 

岡田斗司夫大先生は、ニコ生でこう語る。

「『晴れ間を作る』という能力は、新海監督の才能のメタファーです」と。

『君の名は。』がものすごく売れて

「こんな作品を作ってくれ」とか「こうだと思っていたのに」とかいろんな言葉/願い/祈り(あのよくわからん魚)が新海誠監督(陽菜)に絡みつき、自分自身の存在が希薄になっていく。そして、雲の上の世界の人となってしまう…。

今回は映画のマーケティング戦略であえて、情報を全然開示せず、公開直前にマスやSNSで盛り上がりを作って、感想をあげてもらって…て感じだったけど(電通さん、各企業さん、すごい広告ありがとうございました)、余分な声を極力減らしたかったってのもあったのかなって、映画を観た後に思った。

 

様々な無責任な“祈り”を受けてなお、新海誠はアニメーション映画を作る。

なぜか。人々にとっての希望になることがわかったから。

 

岡田斗司夫さんは、レベル3「思想から読む『天気の子』」と題して、この映画で語りたいテーマ、テーマを生み出す思想を読み解こうと試みる。

そして、それは「若者を泣かせるアニメなんか作ってて、本当にいいの?」という問題意識が根幹にあることを指摘する。

 

この映画の思想というのは「俺の作るアニメというのは、一時の感動や元気と引き換えに、世の中をひょっとしたら悪くしているんじゃないのか?」という問題意識から始まっています。

 

新海誠監督が作る映画は、大衆を感動の渦に巻き込む。

でもそれは「ウソの感動」と岡田斗司夫さんは言う。

「他人が一生懸けて努力した結果を見て味わう、ウソの感動であって、ウソの元気でしかない」とも。

日本は沈みゆく船だとか、転落途上国とか、貧富の格差拡大と言われることをちょいちょい耳にするようになった。

大学生のときに読んだ、古市憲寿さん著『絶望の国の幸福な若者たち』で指摘されていたように、この国に望みはない(雨が永遠と降っている世界)かもしれない。

食べ物や娯楽にあふれ、消費者でい続けることは、刺激が弱くなり、もっと強い刺激を求めるようになるかもしれない。日常への期待が減ってしまうかもしれない。

それでも僕らは、終わりなき日常を生きるしかない。

そして、新海誠は開き直る。

 

「自分の映画ごときで、この世界はダメになったりしない!」(中略)「面白いアニメを作ってそれに感動してくれる人がいる限り、面白いアニメを面白いと言ってくれる世界は大丈夫だし、そのアニメを作る俺も大丈夫だ!」

 

急に、この映画が怖くなってきた。

あくまでも岡田斗司夫さんの解釈と考察なのだけど。

全文は下からKindleで読めます。

(出典)

 

 

 

僕らは、感動を求めて、これからも新海誠監督の映画を楽しみにするのだろう。

 

新海誠監督は映画の観客に、何かしらの行動を起こしてもらう一縷の希望を持って祈っていると僕は思っているし、やはりそうやって人の行動に影響を与えることこそが、最高のエンタメであり、最高の映画なのだと思う。

 

何れにせよ、時代というか、今年観てよかったなって思える映画でした!

RADWIMPSの英語版アルバム楽しみだな〜!

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